宗教上の罪:何か利点はあるのか?

スケプトイド #09
2006 年 11 月 26 日

今週は深紅のビロードの法服を着て、マティーニグラス一杯を手に持って、下劣な評価体系である“宗教上の罪”について見てみることにする。

宗教上の罪は興味深いものである。宗教上の罪は与えられた宗教の制限上してはいけないことである。宗教上の罪は必ずしも違法ではない。宗教上の罪は必ずしも間違ったことではない。宗教上の罪は必ずしも他人を傷つけるものではない。事実、宗教上の罪の多くは完全に危害を与えない。例えば不純な思いなどである。それのどこがいけないのか? なぜ宗教上の罪は悪いことなのか?

それは誰の定義する“悪い”という意味を使うかに依るのである。例えば、もしあなたがイスラム教徒なら自分に小便がかかってしまうことは宗教上の罪である。われわれもこの戒律に厳密に従うが、われわれは小便がかかってしまうことを宗教上の罪だとは考えない。仏教徒たちは懐疑的な思いを宗教上の罪と考える(彼らはそれを“障害物”と呼ぶが)。しかし、疑うことはキリスト教徒やイスラム教徒にとっては悪いこととされていない。ほとんどのキリスト教徒は一夫多妻制を宗教上の罪と考えが、それは逆にアフリカや東洋ではそれが規則である。従って、何が罪で何が罪でないかを決めるたった一つの明確な物差しはないのである。それは宗教に完全に依存しているのである。宗教の外では、宗教上の罪は実用的上どんな目的においても無意味なのである。

とりわけキリスト教徒は各自のふるまいに関わりなくすべての人に宗教上の罪があると考える。彼らはこれを“原罪”と呼んで、言うなれば生まれた瞬間に自分の通知表に付けられるマイナス評価なのである。厳密なキリスト教の教義によると、アダムとイブが差し出されたある果物をずうずうしくも食べたので、あたたもわたしも他のすべての人々も共犯の罪になるので、根本的に悪人なのである。

キリスト教徒は“大罪”も扱わなくてはいけない。大罪とは罪を悔い改める前に死ぬと地獄に行くというやつである。キリスト教徒はどの罪は地獄行きかというリストを持っているわけではなく、ある一般的な規則があるだけである。大罪は故意に行われるものである。単に教会に行くのを忘れたり、うっかりコンドームをつけてしまったり、通りがかりの美女をついうっかりちらっと見てしまうことは、小罪と呼ばれていて地獄行きにはならないのである。ただし、日曜の午前中にできるだけ多くの木を切りたいから教会に行かないとか、意図的にコンドームをつけるとか、不純な思いで美女をあえてじっと見つめるなど、故意にそれらのをことをすると大罪になるのである。これらのことを頻繁にしてると、厳密なキリスト教徒はその人は間違いなく地獄行きだと考えるのである。おそらく多くの男性は埋葬される時にジャケットを着てる必要はないだろう。

中でも最悪なのは“永遠の罪”だろう。これは神を否定することで、それは許されないことなのである。永遠の罪を犯そうと考えてる人は、悪魔へのちっぽけな異議などすでにあきらめた方がいい。永遠の罪に対する罰は大罪と同じである。その違いは、永遠の罪は許される機会を与えられないということだ。それはまるで電話を持ってない州知事の元で死刑囚になるのと同じことだ(訳注:州知事は電話で死刑執行を延期したり中止できる)。

他人を傷つけることあるいはそれ以外の悪いことを除いても、宗教の罪のリストには犠牲者なしの多くの罪がまだいっぱい残る。宗教の規律に妨げられていないわれわれにとってはここからが面白いところなのである。

重婚や同性婚や同棲や婚外セックスなどを含む社会的な関係を例に挙げてみよう。それはだれも傷つけないし、それに関わる人はそれぞれ楽しい時間を過ごせるし、参加者全員がお互いに満足できる。しかし、それらの行為は宗教上の罪のリストでかなり上の方に挙げられている。宗教を考えなければ、それらは何も悪いことではないのである。複数の愛を持つことも犠牲者なしの罪だが、どういうわけか宗教上の罪と考えられている。夫婦交換やスワッピングや快楽主義や乱交パーティーやオープンマリッジなどは参加者全員が密室で楽しむことなのだ。どんな害があるというのか?

男女の夫婦間のセックスはマスターベーションやフェティシズムや肉欲や不純な考えに至らない限り問題ないのである。“ちょっと待った、メーベル、肉欲を少し感じ始めてしまった。”

宗教上の罪のリストは不変のものではない。サイバーセックスを含むように更新された。コンピュータを使って性的刺激を高めることは宗教上の罪とされている。これには配偶者が旅行先からビデオチャットをすることも含まれる。筋が通り過ぎではないだろうか。

酒とタバコも宗教上の罪のリストの中では重大である。これは単に逆効果である。夜にクラブの革の椅子に座ってマーティニ一杯と葉巻を手に政治や悪口を語るのを誰がありがたく思わないというのか。さらに冒涜も含めたら(幸運にも冒涜は宗教上の罪のリストには見当たらない)、完璧な夜を過ごすことができる。酒とタバコは健康な大人の男性の根本なのである。率直にいえば、それらなしにまともな重役会議を開くことができるかどうかわからない。

偶像崇拝という宗教上の罪はわたしにとっては欠かせない。偶像崇拝は必ずしも他の神の偶像や彫像とは関係ない。偶像崇拝とは神を愛する以上に他の物や人を愛することを指す。わたしにとっては、ブランド名のポルシェやジープに弱いから難しい。わたしは毎週日曜日の朝に教会に行く。わたしの礼拝堂はビーチにある8メートルかける16メートルの四角で他の礼拝者に向けて合成革のボールを叩くことを伴う。正直に言うと、わたしの家族以上にわたしが愛する超自然的な目に見えない空飛ぶ手品師がいるとは思えないので、偶像崇拝は間違いなくわたしが息をし続ける限り毎日毎分ずっと犯し続けなければならない宗教上の罪である。

憎しみと怒りも宗教上の罪である。わたしは誰かを本気で憎まないし、頻繁に怒るようなこともない。ほぼ唯一わたしを怒らせるのは、幼児の虐待や殺害あるいは集団虐殺などの最悪のニュースを耳にする時くらいだ。それらのことがわたしを怒らせるという理由でわたしは地獄に行くべきだと世界の主要な宗教は考えるのである。この一件に関しては、わたしは世界の主要な宗教に対してふざけるなと言ってやる。アーミッシュがひどい犯罪を見逃してあげてその犯罪人を許してあげることをわたしは尊敬するが、囚人たちがジェフリー・ダーマー(訳注:アメリカの有名な連続殺人犯)の頭を刑務所のトイレに叩きつけて殺す日が来るまでわたしの拍手はお預けにしておく。

ウソをつくこと。これは厳しい。どんなに宗教的な人でも、この宗教上の罪を毎日犯さないと言えるとは思えない。実際は単にやりたくないだけの時に、用事があって行けないとかある理由あるからできないなどと言ったことがないとでも言うのか? それはウソだろう。誰かの噂の話をしている時に、その人が部屋に入って来たとたんその人の話をしてなかったふりをするために話をやめたことがないとでも言うのか? それはウソだろう。人とすれ違う時にその人がまるであなたを幸せな気持ちにするかのよう作り笑顔をしたことがないとでも言うのか? それはウソだろう。ウソは必ずしも口から出るものではないし必ずしも悪意があるわけでもないが、ウソには代わりない。毎日、一日中、われわれみんなすることである。ウソは礼儀正しさの根本で行儀良さの支え柱なのである。

本当のところ、宗教上の罪という概念は現代社会における賢い大人の生活には必要ないのである。礼儀正しさ正直さ勤勉さ、そして単純に自分らしさが自分を促進させるのだ。わたしは宗教的な人々にこう言いいたい。勝手な規律とわたしが地獄に行くべきだなどという憎しみを持った信念を自分の中にだけ留めておけ。

Brian Dunning
ブライアン・ダニング

参考
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