ニューエージ・エネルギースケプトイド #01 |
今日はちょっと元気がない感じだ、だからすぐに元気を取り戻すためにとなりの次元からのエネルギー源に触れることにしよう。
似非科学への信仰がはびこっている。どっちを向いても、心霊現象、天使、ニューエージ療法、古代の健康法などを、科学では理解されていない神秘的なエネルギー・フィールドを根拠に、頭の良い人々がそれらを完全に受け入れてしまう。これらのほとんどの超自然現象は“エネルギー”に依存している。パフォーマーは説明するようにと頼まれると、説明や正当化するのに親しみのある言葉が必要な、人体からのエネルギー・フィールド、宇宙エネルギー・フィールド、気、プラナ、オルゴン、ネガティブ・エネルギー、ポジティブ・エネルギー、その他なにについてでも彼らは喜んで講義をするでしょう。明らかに、エネルギーが実際に何かということがほとんどの人が見当がつかないほどエネルギーという言葉にあまりにも多くの勝手な解釈がある。
もしより多くの人がエネルギーについて明白に理解していれば(難しいことではない)、似非科学に対する感受性がより少なくなるし、正当に建設的かつ便利な実際の技術や手法にもっと注目することになるとわたしは思う。
ちょっとしたヒーリングをすることができるということを友達がわたしに話してくれた時に、彼女の最善の説明は別の次元からエネルギーを引き寄せるということだった。彼女は“What the Bleep Do We Know”(私たちは一体何を知っているというの?)という映画を借りたばかりだったので、異次元や代替現実を使って説明するのに十分な心の準備ができていた。なぜなら実際に科学では何も理解できてないのでそれらのことを反証できないからだ。彼女が別の次元とコンタクトできるとわたしが認めるとしよう。実際のところ10や11の次元が漂ってるということを最新の M 理論は自明のこととみなしているからだ。ただ、わたしの友達の次元が不可能なほど小さい空間につぶれてしまう次元のうちのひとつでないことを祈る。わたしがほんとうに興味があるのは、彼女がコンタクトできるという、曖昧に定義されたエネルギーの実態だ。
どんなタイプのエネルギーでどうやって保存されてるのか? 熱なのか? 回転するはずみ車なのか? 爆発性物質なのか? 食べ物なのか? これらはエネルギーを保存する実際の方法の例なのだ。
人気のニューエージ文化では、どういうわけか“エネルギー”という言葉そのものが物の名前のようになってしまっている。“エネルギー”は、熟練者が力を引き出して元気づけることができる、光を発して宙に浮いてきらめく雲のようなものと考えられている。オリジナルのスタートレック・シリーズに出てきた蒸気のような生物を想像してもらえれば、ニューエージの人々がエネルギーをどんなものと考えているかの見当がつく。
実際のところ、エネルギーは物の名前ではまったくない。エネルギーとは、物が持っている仕事をする能力の容量のこと。このことを考えに入れると、心霊術師があなたの体のエネルギー・フィールドについて話している時は、ちょっとでも意味のあることすら言ってないのである。それにもかかわらず、このような話がわれわれの文化にあまりにも普及してしまって、ほとんどのアメリカ人がエネルギーとは独立した力で光を発する雲として浮かんでいて心霊術師が思いのままに操れる存在だということを受け入れてしまっている。
エネルギーに関する簡単で具体的かつ科学的な定義の良く知られた権威者が存在する。誰でも知っているがほとんどの人がそれを理解するのに必要な30秒すら費やそうとしないアインシュタインの公式 E=mc2 を例に挙げよう。エネルギーは質量かける光の速度の二乗に等しい。簡単にしてみよう。質量はグラムで表すことができるし、速度は秒速何メートルとして表すことができる。したがって、物体のエネルギーは何グラムかを一秒間に何メートルか動かすのに必要な仕事の量に等しい。エネルギーとは仕事の量である。もしわたしが石を持ち上げるとすると、わたしがその石を落とした時にテーブルの表面を1センチへこませるのに必要な位置エネルギーを与えていることになる。パワーバーを食べた時にわたしの血流が吸収する化学エネルギーのカロリーは、わたしの筋肉に庭の土を200ポンド(91キログラム)掘るのに十分な力を与える。宙に浮かぶ光る雲や人間の魂によって発せられる神秘の力についてアインシュタインはどこにも述べていない。
心霊術師がエネルギーについて述べる時は、エネルギーという言葉に親しみがあるからとか科学的だという理由だけで彼らが言っていることを鵜呑みにしないで欲しい。ほとんどの場合、彼らの“エネルギー”という言葉の使い方には意味がない。神秘的な力や能力を説明するのに“エネルギー”という言葉が気軽に使われたときは、それが何かを明らかにするように求めなさい。エネルギーが何かを定義するように求めなさい。熱なのか? 回転するはずみ車なのか?
良いテスト方法として、霊的または超自然的に“エネルギー”という言葉が使われたら、“測定可能な仕事の能力”という言葉に置き換えてみなさい。置き換えた後でもその言葉の使い方にまだ意味があるか考えてみなさい? その主張を支持する情報を実際に与えられたのか? エネルギーそのものは測定されるものではなくて、エネルギーとは仕事の量または潜在的な量だということを思い出しなさい。
以下のクンダリーニ・ヨガの主張を例に挙げてみよう:“休止状態の霊的エネルギーの放出と昇降が志望者の要素の効果を超越させ意識を達成することを可能にする”。もしエネルギーが奇跡を実現するためにどこにでも自由に移動できるきらめく雲だとしたら意味があるかもしれない。しかし、エネルギーはそんなものではないので、この場合“測定可能な仕事の能力”という言葉に置き換えると、この主張は“エネルギー”という言葉そのもの以外は何も測量または数量化しようとしてないことがわかると思う。“休止状態の霊的な測量可能な仕事の能力”とあるが、その情報は何も与えられていない。これではあまりにもあいまいだということが解ると思う。この主張に価値を持たせるとするなら、彼らは少なくともこのエネルギーがどうやって保存されていてどうやって現れるのかを説明するべきだろう。この潜在的なエネルギーは脂肪細胞の化学物質として保存されているのか? 人体を通して広がることができる熱なのか? 測定可能な電磁気量なのか? だとしたらどこに磁石があるのか? それがなんだとしても、定義としては測定可能で正確に数量化できなければエネルギーと呼ぶことはできない。
医者や薬剤師がエネルギー・フィールドについて話さないのにはそれなりの理由がある。意味がないからだ。心を開いてエネルギーが関与する主張を聞くことは一般的には良いことだとは思うが、懐疑的かつ科学的に接して欲しい。このような主張を次に聞いた時は“測定可能な仕事の能力”という言葉に置き換えれば、馬鹿げたこととまともなことを区別するのに十分な知識を持っていることになる。
参考
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