道徳の核心としての宗教

スケプトイド #02
2006 年 10 月 11 日

今日はホテルの部屋にあるタンスの引き出しを開けて、われわれ自身がどう振る舞うかと人生をどう生きるかを支配する、行動と倫理の真髄である道徳の核心を持つことの必要性に直面することにする。

聞いて驚くかもしれないが、わたしは無神論者である。超自然的な神が存在するとはわたしは信じていない。それは悪いことでも間違ったことでもない。平均的なキリスト教信者がシバやアテネやシータンに対して見解を持つように、わたしはキリスト教の神に対して同じように見解を持つ。それらの神の実際の神性について疑うことは悪いことでも間違ったことでもない。それにも関わらず、宗教を信じる人々が挙げる共通する結論としては、無神論者には道徳の核心がないというこである。宗教を信じる友達との夜中の言い争いの中で、道徳の核心には信仰が必須であるとわたしは幾度か聞かされたことがある。含みとしては、正常で健全な倫理と個人的な振る舞いを身につけるには宗教を信じることが重要な役割を果たすということだ。従って、宗教を信じる人たちが無神論者に手を差し延べようと欲する数ある理由のうちの一つとして、神を信じない不心信な非キリスト教者が裸で破壊行為や乱暴行為をして走り回らないように、無神論者が道徳の核心を見つけることを助けるためというものがある。

わたしには倫理がないと思い込んでくれたことを宗教を信じる人々にまず感謝して、わたしの彼らに対する返答はわれわれの道徳の核心を比較して違いがあるとすればどこにあるかを見てみることである。もしあなたがわたしのことを個人的に良く知っていたら、あなたはわたしのことをあなた自身と同じように一般に尊敬すべき人物で、危ないことには近づかず、歯を磨いて、子供を学校に送り迎えして、図書館で怒鳴ったりしないよう心がけていることに気がつくだろう。

あなたと同じように、わたしも一般に正直な人である。仕事の上で他人をだますようなことはしない。高速道路でスピード違反をすることはあっても、物を盗んだり犯罪を犯したりはしない。ウソをつくことも良くあるが、ウソが助けになるときにしかウソはつかない。例えば、“そのパラシュート・パンツはあなたによく似合ってますよ”とか。

あなたと同じように、スポーツではたとえ相手が不正をするような人でも正々堂々と戦う。慈悲深い敗者になるよう心がけるし、たまには慈悲深い勝者になることもある。

あなたと同じように、わたしの人生で一番大切なのはわたしの家族である。わたしの家族の愛と信頼と幸福がわたしの人生の中で他の何よりも優先する。

あなたと同じように、わたしは明白な善悪感を持っている。一般的に、他人を傷つけるような行動は悪いことで、ほとんどの人は可能な限りそういうことはしないように心がける。

あなたと同じように、もしわたしの知らない人が財布を落とすのを見かけたら、人種が違ってようが違う言葉を話す人であろうが、バットマンのようにすばやく行動を起こしてその財布を拾って落とした人に渡してあげる。あなたもわたしも、どう間違ってもその財布を自分の物にしようとか、拾ってあげたからということで落とした人から報酬をもらおうと思ったりはしない。

もしお年寄りの女性を見かけたら、走りよって顔を殴って鞄を奪い取ろうとはしない。宗教を信じる人々もそんなことはしない。ここで気がついて欲しいのは、宗教を信じる人々は“本当はお年寄りの女性を殴りたいんだけど神様がそれをしてはいけないと言ったからやらない”とは誰一人として言わないということである。どう考えても悪いことに決まっているので、誰もお年寄りの女性を殴ったりしないのが当たり前なのだ。基本的に善人(ほとんどの人々)がそのような悪いことをしないようにするために宗教の戒律は必要ないのである。

まとめると、わたしの道徳の核心は基本的にあなたのものと同じである。それは人間性の基本的な善良さとすべての人々が共有する自分自身の善悪感から来るものである。それはある特定の宗教の戒律を読んだことから生じたわけではなく神の罰則の恐怖から生じたものでもない。わたし自身の倫理は宗教とは関係なく生じているのに、なぜわたしの道徳の核心は平均的なキリスト教信者や仏教徒のそれとこれほどよく似ているのか? わたしが思うには、すべての人々の道徳の核心は人間性や社会の中での養成や善悪感から来ている。すべての人々がすでにそのような感覚を持っているので、それらが宗教のおかげだと考える必要性はまったくないのである。

宗教を信じる人々からの典型的な口答えとして、神が常識や善悪感を与えてくれたんだと言うだろう。もしそうだとして、すべての人々(無神論者も含む)が道徳の核心を発達させるために必要なすべての原理を与えられているとすると、われわれは結局みんな同じ立場ということになる。宗教によるしつけは相変わらず不必要なのである。

ほとんどの人々にとって宗教は人生の中で重要で大切なものである。宗教の習慣はいろいろな面で彼らに満足感を与える。しかし、善人になるのにも健全な道徳の核心を持つにも宗教はまったく必要ない。博愛主義者や教育者や医者や救命士やノーベル賞受賞者が、どの宗教(無神論も含む)に所属するかは人口全体の中に同じ割合で存在する。なぜなら、彼らが人口全体を構成しているからだ。

Brian Dunning
ブライアン・ダニング

参考
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